●立冬(りっとう)
冬の気たちそめていよいよひゆればなり
No.063
焼畑農業で小豆栽培
雑木や雑草を焼き、焼跡に、粟、稗、蕎麦、大豆、小豆などを栽培する焼畑農業は戦後も日本の山岳地帯では営まれていました。この農法はヒマラヤ山脈南麓から西日本に至る照葉樹林文化帯に広がり、他にも絹、漆器、納豆、茶、餅など様々な共通の文化があります。
日本文化のルーツ
「照葉樹林文化への道〜ブータン・雲南から日本へ〜」(NHKブックス)では日本文化の起源にふれることができます。著者の民俗学者佐々木高名さんが照葉樹林文化帯の中心地域にある中国雲南省南部のタイ族の或る村を調査された時、朝市で日本の外郎や粽にそっくりの食品やおこわ(赤飯)に出会いました。おこわは「紫米」と書いて“xao pam”と呼ばれるもので、佐々木さんが訪ねた家でもご馳走の最後にそれが出されたそうです。紫米は赤米を蒸した料理で、小豆こそ使っていませんが、お祝いごとに食べる、お客様に出すという扱いは日本のおこわと全く同じですね。そして佐々木さんは次のように記しています。「中国西南部から東南アジア北部の少数民族の村々を訪ね、その地の人々と話し合うとき、われわれはなんとも言えない一種の親しさとやすらぎに似た気持ちを感じるものである。」