●大寒(だいかん)
ひゆることのいたりてはなはだしきときなればなり
No.068
お菓子は橘だった
和菓子の起源は橘(食用柑橘類を指した古称)で非時香菓(ときじくのかくのこのみ)と呼ばれていました。伝説では垂仁天皇の命で常世の国に非時香菓を求めた田道間守が10年後に帰国した時には天皇は崩御されていたという。現在も垂仁天皇陵の間近に田道間守の墓といわれる陵があります。
馬琴日記と小豆
江戸後期『南総里見八犬伝』などの著作で知られる滝沢馬琴(1787〜1848)は毎日詳細に日記を書いていたそうです。現存する日記の中から天保3年の食べ物に関する記述を抜粋してまとめられた文章を跡見学園女子大学の柴田光彦教授が『たべもの日本総覧 歴史読本特別増刊事典シリーズ』(新人物往来社:平成5年発行)に発表されています。柴田教授の文章からさらに小豆に関する情報だけ抜粋すると・・・1月15日「赤小豆粥もち入」、18日「汁粉餅」、21日「汁粉もち」、2月3日には孫の誕生日に「赤飯」「小豆飯」、4日の稲荷祭に「赤剛飯」、22日「赤豆飯」、5月3日「柏餅」「昨日より小豆煮候て、用意ス」、7月15日「小豆団子」、8月27日(旧暦)「彼岸中ニ付、今日、牡丹餅製造」・・・小豆に関していえば当時の食習慣は現在とはあまり変わっていないような気がします。江戸庶民も一年や一生の節目節目に滋養のある小豆を食べていました。