●霜降(そうこう)
つゆが陰気にむすぼれて霜となりてふるゆへなり
No.110
いのこ祝いのご馳走
亥の月、亥の日、亥の刻に亥の子祝いを行う風習が日本の山間部にありました。現在も旧暦10月1回目の亥の日かその近辺の日に祝う地域が所々に残っています。その日に食べたいのこ餅は概ねボタモチですが、何故に亥の子・・・猪の子・・・がボタモチなのか?赤い小豆を使ったお餅なのか?
小豆=赤=肉
昔、宮中では栗、胡麻、小豆の粉に水を加え、白黒赤の餅を搗き、これを「いのこ餅」としていましたが、本来のそれはもっと生臭いものであったような気がします。昭和53年11月25日、大阪府豊能郡豊能町の西浦家に伝えられる古文書と杵や臼により、昔豊能地方の人々が宮中に献上していた亥の子餅が再現されました。糯米を甑で蒸し、別に煮た小豆を混ぜ、挺桶という四斗樽大の桶に入れ、棒で捏ねる。こうして出来た淡紅色の餅を長さ6寸、幅4寸、深さ1寸5分程の箱に詰め、その上に小豆を煮た際に釜底に沈殿した餡状の小豆を流し掛ける。その上に栗の実を薄く方形に切ったものを6個並べ、更にその上に熊笹の葉2枚を置く。そしてこれら、淡紅色の餅は猪の肉、栗は猪の骨、熊笹は猪の皮を意味するといいます。亥の子餅の起源は、猪そのものであった!と想像できます。いつの時代か仏教思想により肉食等が忌むものとされ猪が小豆の餅になった!?