●小寒(しょうかん)
冬至より一陽おこるがゆへに陰気にさからふゆへますます冷也
No.163
小豆粥の意義
小正月には多くの神社で小豆粥の神饌や小豆粥による粥占(筒粥)神事(=小豆粥と竹筒を一緒に炊き筒の中の粥の入り具合で農作物の豊凶を占う)がお目見えしますが、小豆粥は稲作農耕の産物である米と稲作以前の焼畑農耕の産物である小豆から成り立っている二つの農耕文化の融合を表わす食品で、即ち日本の食文化の象徴なのです。
焼畑農業を守る
焼畑農業は戦前までは全国の山村でかなり行われていたそうですが、戦後灌概技術の進歩とともに辺境の山村にもわずかながらでも稲作ができるようになると焼畑は姿を消しました。宮崎県東臼杵郡椎葉村向山日添の椎葉秀行さんクニ子さん夫妻の畑に黒いホースで水を引けるようになったのは昭和30年頃で、日本が高度成長時代を迎えようとする頃に椎葉さんは初めて稲作に取り組みました。しかし椎葉さんは焼畑を捨てず平成になっても続けました。山の木を刈り、火を入れ、1年目にソバ、2年目にヒエとアワのホモノ(穂物)、3年目にアズキ、4年目にダイズを栽培し、その後数十年は休耕地にする。その間に作物を育てながら苗を植え付けた杉を育て、杉を伐採し売った後はまた火を入れて、ソバを播いて、ということを営々と営々と・・・・・・。夫の秀行さんが病に倒れたのが平成10年頃、妻のクニ子さんの入院が平成13年。でも頑張り屋のご夫妻。再び元気になって焼畑を守っていくことでしょう。